<いもの   猪   靴>


今日は初めての体験をしたので書きます。先日父から電話で、「(群馬の)畑のお百姓さんからイノシシが捕れたから解体に来ないかと言われたけれど来れるか?」と連絡があり、行って来ました。父の畑も含めてその周辺では、作物がイノシシや鹿によって荒らされる被害が常にあります。高圧電流の流れる電線を張ったり、色々な対策は練っているものの、空腹の相手も必死ですから被害は後を絶ちません。今月から猟が解禁なのだそうで、今日もハンターの連れた犬の鳴き声が度々聞かれました。連絡をくれたお世話になっているお百姓さんは、鉄砲を使った猟はしませんが罠を仕掛けているのです。捕れた動物を解体してもよい免許というものがあるそうで、彼はそれを持っていて周辺の農家から頼まれては、あちこちに餌を置いた檻の罠を仕掛けているわけです。今回罠に掛かったイノシシはこのシーズン9頭目だそうです。私は何をするのかよくわからずに見物気分で行きましたが、その檻の中にいた若いイノシシをお百姓さんが槍で絶命させるところからシーンは始まり、その後父と私で皮を剥ぎ解体して肉を取りました。お百姓さんの家でレバーと心臓を焼いて食べました。とれたてのそれは、全く臭みが無く、「旨い」という他ありませんでした。おほしさまへの便りには残酷で不向きな内容かとも思ったのですが、そんな一連の初体験は残酷というより、普段私達が食している生き物の肉が目の前に現れるまでの過程を知る事によって、本当に「ありがたく、大切に」食べなければと思った次第です。皮を剥ぐのも肉を削ぐのも丁寧にやりました。「ありがとう」と言って、臓物や皮を地中深く埋めてお墓をつくりました。その写真だけ添付します。

帰りにお百姓さんの奥さんに「あなたが来なかったらお父さんは出来なかったのよ」と言われ、父が殺生に関わる事に二の足を踏んでいたと知りました。そんな父と一緒に今日は良い体験が出来たので、ウレシカッタ。それでは、また。 


ひやぁー、びっくり!!あなたがそんな体験をするなんて。すばらしい!「生命」、「生と死」、「自然と人」の問題。第一義の問題。かつて、私は信州にくらしたことがあります。春、ワラビやコゴミやタラノメや、山菜採りをします。初夏、スガレ(クロスズメバチ)を追います。ご存知ですか?その巣を見つけると地面から丁寧に掘り出し、持ち帰って、庭に穴を掘り、女王蜂と働き蜂と共に元のように組み立て、埋めておきます。晩秋に大きくなったその巣から幼虫を取り出し、食すためです。スガレを追うには昔ながらの方法があります。まず、川や田の水辺でトノサマガエルを捕まえます。地面に叩きつけて息のねを止め、その蛙の皮をつるりと剥ぎます。そしてその蛙を木の棒に串刺しにして山に入ります。蜂を見つけて、その肉色の蛙にとまらせると、蜂は蛙の小さな肉団子を作り、巣に運ぼうとします。その時、あらかじめ作っておいた蛙の小さな肉団子に真綿を付けて、たくみに蜂に持たせます。蜂はその真綿が付いた肉団子を巣に運びます。その真綿を目印に追いかけるのです‥。私がくらしたその家では山羊とアンゴラ兎を飼っていました。山羊からは乳をとります。アンゴラ兎の長い毛は刈りとって、買付業者に売ります。庭にはサクランボの大きな木がありました。果実は小さかったけれど、いっぱい食べました。時々、伯父と天竜川に投網をうちに行き、コイやハヤをとり、田の間を流れる川にいっぱいドジョウやフナをすくいに行きました。もちろん、食べるためにです。伯父の父親(私の父の父親ではありません)は山河の猟師でした。伯父は猟師ではありませんでしたが、いろいろ猟について語ってくれました。冬、村は雪に閉ざされます。その村の人々は皆、とても貧しかったのです。でも、そこには豊かな自然と美しい景色がありました。でも、今は、もう、ありません。伯父も、もう、いません。今日は、ちょっと、センチでした。ではまた。


おほしさまが信州にいたことがあるとは知りませんでした。幼少の頃、という事かしら・・・とても興味深く読ませていただきました。スガレは、その生態はもちろんのこと、見た事もありません。肉食なんですね。トノサマガエルの肉を団子にしている蜂の姿、あれこれと想像しています。スズメバチと同じくらいの大きさなのかな?肉を団子に出来るのだから力があるのだろうな。≫ その時、あらかじめ作っておいた蛙の小さな肉団子に真綿を付けて、 たくみに蜂に持たせます。ヘエ~っ、≫ 蜂はその真綿が付いた肉団子を巣に運びます。 その真綿を目印に追いかけるのです‥。真綿で肉を巻いておくのかな?走って木々の間を縫って、草をかき分けて追いかけるのかな?そして巣を見つけて(その巣は地中にあるのですね)持ち帰って、≫ 女王蜂と働き蜂と共に元のように組み立て、埋めておきます。晩秋、 大きくなったその巣から幼虫を取り出し、食します。元のように組み立てるって?!幼虫の味って?全く知らない、わからないことだらけですが、何だかワクワクします。雪深い山村の生活、知恵がいっぱいですね。生きていくために、自然を観察して色々な方法を人々は考えて来たのですね。おほしさまがそういった環境に過ごされて来た事、羨ましく思いました。また、それがおほしさまの原点でもあるのかな、とも思いました。私も父の畑に行ける事、今回のイノシシの解体に携われた事を大切にしたいと思います。また機会があったら、その頃のお話聞きたいです。それでは、おやすみなさい。 


こんばんは。お元気ですか?仕事が忙しくなり、毎日残業です。このところはクライアントに納品するデータベース用に、撮り溜めていた写真の仕上げの加工をするといったPC作業が続き、目がしょぼしょぼしてすっかり肩こりです。写真を撮っている時はずっと立ち仕事なので「ああ、テスクワークがしたい」と思ったりしますが、デスクワークが続くと「写真が撮りたい」と思ってしまいます。先週末、またイノシシをさばきました。今度は例のお百姓さんから私の実家へ、頭と内臓を取り除いたものがクール宅急便で送られて来たのです。どんな風に送られて来るのか、そんなに大きな箱はあるのだろうかなどど、父と私で想像をめぐらしながら待っていたところ、紙製の大きな米袋に入って届きました。前回は最初から立ち会ったので一連の流れの中での作業で「屍」という概念を持ちませんでした。しかし今回はそうもいかず、その袋を開けるのには勇気がいりました。二人で顔を見合わせて、思い切って袋を開けたのは私です。そうしたら新聞紙に包まれていたのでちょっとホッとしました。庭の物干竿に吊るして皮剥ぎをしました。前回より大きく毛も長く皮も厚く重かったので、ふたりで上から下へ皮を剥ぐのに結構力をかけていたのだと思います。途中で吊るしていた紐が切れてイノシシが「ダーン」と落ちていまいました。突然の事で、私は「ギャアー」っと大きな悲鳴を上げてしまい、閑静な住宅地に響き渡りました。幸い、近所の人が出て来たりパトカーが来たりはしませんでしたが・・・。そんなアクシデントもありましたが、二度目とあって手際はまあまあ良く、二時間ほどで全ての作業を完了出来ました。その日はイノシシ肉のカレーを作りました。肉があっさりしているので、他の肉を使った時とはまた違う美味しさがありました。それでは、また。おやすみなさい。


なんと!まあ!すごぉ━い !GOOD JOB ! 2連発 !でしたね。拍手、拍手。あなたからのメールは私の日々の2番目の楽しみです。あなたからのメールが来ていると、うれしい。なぜなら、楽しい。なぜなら、おもしろい、だから、ありがとう。これからも、よろしくお願いします。今は、‥‥イカの制作中。小さいイカだから、「コイカ(恋か)」にしようかなぁ~と思っています。でも、やっぱり、「おかしイカ」かなぁ~。そう言えば、「BREATH」って「そよ風」ってことでしょ?もう、30年も前のことですね。今や、もう、「無風」になっちゃったように思えます。昨夜は美しい今年最後の満月でした。

 ちょっと早いけれど 、今年はとても良い年でしたね。天気はいつも元気です。元気でいきましょう。ではまた。


その後、イカは如何ですか?メールを読んでナルホド、そうは思っていなかったけれど、ゆうべの満月、きれいでした♪ 今年最後なんですね。見れてよかった!!写真もありがとうございます。今日はちょっとヨッパライです。また書きます。おやすみなさい。 


こんばんは。今年もあと少しですね。くたびれたので友人と一泊で温泉へ行って来ました。場所は西伊豆の堂ヶ島。ヌルヌルのお湯で気持ち良かった!昨日はすごい雨になってしまい、それでも露天風呂に意地で入りました。お湯の中は温かいけれど、頭と顔は雨に濡れて寒い・・・他に人がいなかったので、初めは露天風呂で傘をさしていました。でも何だか鬱陶しい・・・そこで、桶をかぶる事にしました。これは名案。でも、とても変でした。宿へ行く前に土産屋に立ち寄って伊豆の特産のひものを眺めていました。晩になってさあ寝ましょうと布団に入って目を閉じると、いつも仕事で土器や石器を撮影している状態で、当たり前のように色々なひものを並べて撮影しているシーンがひきも切らさず朝まで続きました。まったく眠った気がしないで目を覚ました時に「ひものは仕事じゃないじゃん」と気がつき、あれは夢だったのだと知った次第です。一晩中妙な仕事に神経を使って、余計くたびれてしまいました。(泣)それでは、また。おやすみなさい。 


いいなぁ~。うらやましいなぁ~。裏山の椎茸!?椎の実?こんばんは。今朝、杉並学倶楽部の方がみえて、最終の打ち合わせということになりました。なんだか、区のほうの要望もいろいろあるそうで、時間がかかるそうです。昔、こんなふうに面倒な仕事をしていたなぁと思い出したりして、楽しみにしようと思います。パセリは摘まんで、味みてみたかしら?確かにパセリなのかしら?と。パセリは2年草だから、2年間、楽しめますよ。あなたのメールの文章は目に見えるように、手に取れるように、優れているから、今度の温泉メールは‥、ちょっと、恥ずかしい気がしました。バレーの前の車の中でのお着替え描写にも似て。「書きかけの恋うた」しばらくどこかに行きたいなぁ テレアビブもアテネも遠いから 伊豆か熱海のどこかしら 誰かといっしょに行きたいなぁ 海をながめて泣きたいなぁ おや?誰かがさ、雨の夜更けに 露天のお風呂に首までつかって 桶をかぶって、ふるえているよ 泣いてる場合じゃぁないみたい しばらくどこかに行きたいなぁ パリもロンドンも遠いから 草津か石和のどこかしら 誰かといっしょに行きたいなぁ 山をながめて泣きたいなぁ おや?誰かがさ、いのしし相手に 相撲の稽古をしているみたい、あれは、坂田の金時に違いない 泣いてる場合じゃぁないみたい しばらくどこかに行きたいなぁ ボストンもサンフランシスコも遠いから 新宿か荻窪のどこかしら 誰かといっしょに行きたいなぁ 街をながめて泣きたいなぁ おや?誰かがさ、お酒を飲み過ぎて、イカはいかが、なんてメールしている 楽しいか?って、問いただそうか 泣いてる場合じゃぁないみたい しばらくどこかに行きたいなぁ ‥‥‥‥‥つづく ではまた。


こんばんは~☆ 実は、昨夜打ったメールを送信する前に消してしまい、意気消沈して寝ました・・トホホ イタリアンパセリは時々お料理に添えて楽しんでいますヨ ♪ おほしさまの味 ♡ミントはまだ眺めているだけです。二鉢並べて眺めていると、日常にささくれた気持ちがホッと和みます。今日は会社持ちでインフルエンザの注射をしました。筋肉注射なので痛いようですが、私は全く無痛で看護婦さんに「さすがですね~」と声をかけましたが、その次に注射をした女の子はとても痛かったそうです。私が褒めて看護婦さんが笑っちゃったからかな~ それともただ私がニブイだけなのかな (そうかも)。「激しい運動は避けてください」と言われましたが、今日はバレーボールの日だったのでやってきちゃいました。去年も一昨年もそうだったけど大丈夫だったので。職場の人達からは「貴重なアンプルなのに、あなたにはもったいない」と今年は特に言われました。<書きかけの恋うた返歌>しばらくどこかに行きたいなぁ しばらくしばらく行きたいなぁ 山見て泣いて、川見て泣いて、海見て泣いて、街の灯にまた泣いて、顔見合わせたら笑い泣きして そんな楽しいあのひとと どこかに行けたらいいのになぁ 涙も忘れた厚顔を 山の鎮守の神様や 川の魚の大将や 海の寄せ来る潮たちや ネオンサインの行列に 預けられたらいいのになぁ きっと迷惑だろうなぁ 泣いてる場合じゃなかろうなぁ それでは、また。おやすみなさい♪ 


あなたの恋うた返歌に、胸がキュンとしました。たぶん不整脈か心筋梗塞。


こんばんは。今日でやっと会社での年内の仕事が終了しました。シアワセな宵デス♪先月からイノシシ業務にもやや翻弄され気味でしたが、何とか下ごしらえがさっき終わり、お正月のお客様に食してもらう準備も整いました。解体の経験を積めた(計4頭さばき、最後の一頭は一人で全部やりました)のは、今年一番の出来事でしたが、最後の一頭をじっくりさばいた後から皮を剥いだイノシシの夢ばかり見るようになりました。私は乳がんの手術で右胸の一部と右脇のリンパ節を取りましたが、そのためにリンパの流れが滞り身体のむくみに悩まされるようになりました。しかし「リンパ節」なるものが実際どのようなものであるかは見た事もなく、ずっと頭の片隅で疑問となっていました。今回イノシシ様の解体によって、それを目の当たりにすることが出来たのです。それは、左右の首の付け根、脇の下、肩甲骨のあたり、足の付け根、骨盤のあたりにあり、空豆の殻をやや透明にした様な袋状のものでした。人も動物も同じ場所にあるようです。リンパ液は例えば身体の機能の循環を良くする電車で、リンパ節はその駅です。駅を一つ失うと、電車は路頭に迷ってしまうという事が、私の身体の中で生じているのだと視覚的によくわかりました。また、「骨髄」と言われているものも確認しました。背骨にくっつくように沿っている白いホースで、中には白いスクラブ入り歯磨き粉みたいなものが詰まっています。これが「髄液」なるものかと思われます。小さいイノシシでも直径1cmはありましたから、私達の身体のなかのホースはもっと太いものでしょう。「骨の髄まで」という言葉も具体的に理解出来ました。学生時代、ヌードのモデリングがちっとも出来ませんでした。今なら、もうちょっとはマシなのが作れるかもしれません。それでは、おやすみなさい。


こんばんは。外はそうとう寒いです。「私は常識にとらわれることなく植物を育てるのが好きです。‥‥」と、書き始めた PASSAGE の添文を、あなたのメールを読んで、ころりと取りやめて下記のようにしました。感想を聞きたいなとメールしました。2009年12月23日、今日で、生まれてからちょうど60年が過ぎました。この国の人たちの共同幻想にしたがうと、「還暦元年」の新しい一日が始まりました。残り少ない年月はどうなるのだろうかと、時にはしんみりと思ったりします。年寄りには、昔は良かったなぁ~と言うのも、厳しかったなぁ~と言うのも、たやすいことです。年寄りは、良かったことも厳しかったことも任意に選び出すのに充分な過去を持っているからです。若者は選択に余りある未来を持っています。新しい時代つまり未来はいつの時代も若者が作るものなのですから、年寄りの過去と若者の未来の質量は同じだといえます。若者が、年寄りの作った時代に育ったように、年寄りは、これから若者の作り出す時代に生きていくのですね。これまでのやり方を傍らに置いて、子たちに耳を傾ける時が来たように思います。 子曰、「吾十有五而志于学、三十而立。四十而不惑、五十而知天命。六十而耳順、七十而従心所欲不踰矩。」でも、年寄りには、避けては通れない厳しい問題があります。「死」です。いつかは死ぬものだとわかってはいるのですが‥、死ぬのはなぜか嫌ですよね。でも、嫌でも無理なものは無理なのです。そこで、「どんな景色を見ながら死んでいくか」が一番の問題なのだと私は思うのです。人は死に際に走馬灯のように過去を夢見るといいます。人の意識は脳の深層部に生まれ、表皮部分で生き、再び深層にまで戻って消滅するのではないかと思います。だから、深層部から表皮部までに蓄えられた太古から現在までの記憶を、人は死に際に走馬灯のように見るのではないかと思うのです。それは、道を歩くようにではないかと私は思うのです。その道を歩くと何が見えるのでしょうか。私は何を見ながらその道を歩きたいと思っているのでしょうか。雲と月と草と‥。死に際にその道を歩きながら見えるのは径・ PASSAGE のようだったらいいなぁ~と、私は思うのです。日の光を映す雲、闇に流れる月、私が育てた草たち‥。クーッ!‥‥泣けてきちゃう。あなたの生理学的感想文には改めてお返事します。ね。モデリングには影響なかったと願います。アカデミックな造形には、私は興味ないのです。裸の女性を街角に立たせたいとは思わないのですから、この寒い夜に‥。ではまた。おやすみなさい。


こんばんは。「PASSAGE」の添文、文章と写真を交互に見てなんだかとても泣けました。もし手紙でお返事をしていたら、今頃便せんが花水(?!)でグショグショです。> これまでのやり方を傍らに置いて、子たちに耳を傾ける時が来たように思います。> 死に際にその道を歩きながら見えるのは PASSAGE のようだったらいいなぁ~と、私は思うのです。> 日の光を映す雲、闇に流れる月、私が育てた草たち‥。etc・・・すてきなおほしさまの言葉が満載です。世界はきっと目には見えない色々な層で出来ているんだと思います。いわゆる「ボケ」てしまった人達も、もう一つの層へ行かれたように思うし、そして「死」を迎えることも、違う層へ行くのだと感じます。同じ地平の上で、肌を寄せ合ったり連絡を取り合ったり一緒に何かしたり出来なくなる事は、残された者の方が途方に暮れてしまうという案配でしょうけれど、旅立つ側はそのときに「歩いて」、「走馬灯=PASSAGEの道」を歩いてそちら側へ行けたら、もう、サイコー!ですね。私は、泳いであちらへ行きたいな~(出来れば温泉水)何はともあれ、「還暦元年」めでたい♡ 自分が還暦まであと12年。その日を迎えられたら、その時にきっとおほしさまのこの「PASSAGE」を思い出すと思います。しかし、おほしさまはもともと私にとって「性別不明」「年齢不詳」でありましたから、どこか「ヘンな感じ」がしないでもないというのが、本当のところかな(笑)それでは、おやすみなさい。

2009

© 2018 志津雅美 東京都杉並区荻窪
Powered by Webnode
無料でホームページを作成しよう! このサイトはWebnodeで作成されました。 あなたも無料で自分で作成してみませんか? さあ、はじめよう